#006 常磐線三大事件・事故 

三つの事件と事故は、1本のレールと1台の機関車と1つの「タラレバ」で繋がっていた

1943年 (昭和18年) 10月26日 常磐線土浦駅列車衝突事故

常磐線土浦駅構内で発生

三重衝突後脱線転覆、さらに客車1両が桜川へ転落した。

110名が死亡し、107名が重軽傷を負った。

事故の原因は下記の通り。

下山事件と同じくD51-651機関車が関与していた。

事故のあらまし

第一次災害 18:48

土浦駅上り一番線に到着した貨第294列車が入換えのため、引上げ線方向に進むところを上り本線方向へ進み脱線、上り本線の線路を支障した。 事故の原因は信号掛による転轍機の操作ミス。

第2次災害 18:51

上り本線上に進行した貨第254列車が、貨第294列車 (D51-651機関車が牽引) に衝突して脱線転覆した。 双方の車両が上下線の線路を支障した。 事故の原因は北操車掛による信号所への連絡遅れ (列車防護不適切)。

第3次災害 18:54

下り本線に進入した客第241列車が脱線して線路を塞いだ車両に衝突し、脱線転覆した。客車6両のうち4両目の1両が桜川へ転落し水没した。 110名が死亡し、107名が重軽傷を負った。 事故の原因は信号掛による南信号所への連絡遅れ (列車防護不適切)と見られている。


もし、南信号所で下り旅客列車に停止信号を現示していたら、事故は防げていた、死者は出さずにすんだのかも知れないと、言われている。

1949年 (昭和24年) 7月6日 下山事件

常磐線北千住-綾瀬間で発生

7月5日午前中より行方不明となっていた国鉄総裁下山貞則氏が翌日未明、常磐線北千住/綾瀬間の線路附近で謎の轢死体で発見された。

他殺説、自殺説入り乱れる中、未解決のまま今日に至る。

戦後国鉄三大ミステリー事件のうちの一つ。

土浦事故と同じく、D51-651機関車が関与していた。

1962年 (昭和37年) 5月3日 三河島事故

常磐線三河島駅付近で発生した列車三重衝突事故

戦後国鉄五大事故の一つ   

三河島駅構内で、貨物線から進行方向右側の下り本線に進入しようとした水戸行き下り第287貨物列車が赤信号を見落とし、脱線して下り本線上を塞いだ。

その直後に同駅を4分遅れて出発した下り取出行きの電車が、線路上を塞いだ貨車に衝突した。先頭車と二両目の車両が脱線し、上り本線を塞いだ。

さらに7分後、その現場に上野行きの上り電車が高速のまま突入して、線路上を避難していた下り電車の乗客を次々と巻き込みながら、脱線事故車両に激突した。 双方の先頭車両は大破して、一部の車両は高架下の民家へ突っ込んだ。

160名が死亡し107名が重軽傷を負った。

事故の原因は下り287貨物列車の機関士による信号見落としと、南千住信号所への連絡遅れと見られている。 土浦事故と同じく「タラレバ事故」

調査後に気が付いたことと

19年の間に常磐線の線路上でおきたこれら3件の事件と事故

下山事件と三河島事故現場間距離は直線で約5㎞、土浦事故と三河島事故は駅間距離2.7㎞

土浦事故と下山事件:D51-651機関車が関与

土浦事故と三河島事故

駅間距離62.7㎞

土浦の時:もし、南信号所で下り旅客列車に停止信号を現示していたら、三次災害は防げていた=死者は出さなかった、かもしれなかった。

三河島の時:もし、隣の南千住の信号所で上り電車に停止信号を現示していたら、三次災害は防げていた=死者は出さなかった。

そうは言っても後悔先に立ちません。

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